ムラパンさんの池袋レポート

2003年9月13日(土)
池袋シネマサンシャインで青春ばかちん料理塾を見た。
同時上映の17歳も見た。
10時にジ○ロさんと待ち合わせて10時半からの初日の最初の上映を見た。
これには一応理由があってムラパンが午後から新宿にごっコンに行くため、
2回目以降の上映だと間に合わない可能性があるからだった。
ジ○ロさんと映画を見るのは今年の3月の青の炎以来2回目だ。
今回は映画なので、最前ゲットとかそういうことはしなかった。
映画館の一番前ってスクリーンがでかすぎて見終わった後に首とかが疲れるからね。

最初は青春ばかちん料理塾だった。瞳ちゃん(ごっちんの役名)が歩いているとき、
何かをしゃべっているときはもちろん、他の人が瞳ちゃんとしゃべっているとき
なども映っているのは瞳ちゃんのアップだったりと、全編の半分以上は
瞳ちゃんが映っているのではないかと思わせるほどたくさん瞳ちゃんが
映っていたので、とても満足できた。
マリアちゃん(ごっちんの劇中のハンドル)の、あんなわがままで切れやすい
理事長の息子までも許してしまう度量の深さに感服した。
終わった後「ごっちん、だいすっきー」と叫びたくなるのはなんとか抑えたが、
そうしたくなるくらいごっちんのかわいさに悶絶した。

17歳は多くの人が言うように設定が細かいわりに時間が短いせいでその設定を
消化しきれていない、と思えてしまう。
だけど実は真衣子ちゃん(梨華ちゃんの役名)の絵本作家を目指す設定にしても、
理沙ちゃん(タンの役名)の家庭環境にしても、ある転換点に必要に
なるためにあるだけの設定なのでその転換点後はその設定は軽いものになるので、
映画中で消化されなくてもいいのかもしれない。
絵本作家になるという設定は「自分の葬式」を挙げるというセリフを言わせる
ためのものだし、理沙ちゃんはその育ってきた環境によってその言葉に興味を
持ち、共感する性格になっていた。
そこから二人はより親密な関係になっていく。だからそうなってしまえば
あとはそれらの設定はそれほど重要じゃないということだ。
ただ理沙ちゃんの設定は映画そのもののテーマとも絡んでいるので、その後も
描かれていくが、絵本作家はそこでおしまいだ。
だけどそれを消化不良と捕らえるのではなく、じつはさほど重要な設定では
なかったのだと思えばそれは消化不良だとは言えなくなるのでは、と思った。

見ているときはそんなこと一切考えずに、「タンかわいいなあ。」と思ってた。